ぎふんだぁ

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話題の歌「あたし おかあさんだから」に対して思うこと

元・歌のお兄さんの横山だいすけさんの歌う「あたし おかあさんだから」という歌が最近話題になってますね。

 

話題というより炎上と言うほうが適切かもしれません。「昔は自由気ままに生きてたけど、今は全て子ども優先の生活。でもいいの、あたしおかあさんだから」という歌詞の内容が「母親は全てを我慢しなくてはいけないのか。というか母親だけに育児押し付けんなワンオペ育児賛美か」的反感を買っているようです。

 

まあ、歌詞の全文はググっていただくとして・・・

 

僕としてはこの歌、特に反感持たないというかむしろ微笑ましさすら感じます。

 

まず「おかあさん」の犠牲(と受け取る人もいる)を前面に押し出している歌詞なので母親の犠牲賛美的な印象を与えるのでしょうが、別にこの「おかあさん」の部分は「おとうさん」であってもいいし、なんなら「おじいちゃん」や「おばあちゃん」でも構わないかと思うんですよね。ようするに育児を必死にがんばっている人なら当てはまるかな、と。

 

やたら「おかあさん」の苦労や我慢を綴った言葉が歌詞全体に出てくるせいで、「育児をしている人はいつもこんなに嘆いているのか。子ども作るの大変すぎ」って思うかもしれませんが、そもそも育児必死にやっているとそんなこと日常的に思ってる暇自体ないと思うんですよ。毎日のタスクをこなすので精一杯で。

 

で、ふと立ち止まって今の自分の必死な育児の状況を見つめなおしたとき、自嘲にも似た笑いが漏れてくるんですよ。「あれ?なんで僕こんなに必死にがんばってるんだ?」って。

 

僕は自分に子どもが出来るまでは特に子ども好きじゃなかったというか、どちらかと言えば嫌いな部類だったかも。仕事疲れて電車で帰るときに、電車内で金切り声で叫ぶ子どもとかいると内心「煩いなぁ・・・」と思ったりもしてました。

 

そんな僕が、今では自分の自由時間の大半を使って子どもの世話をしている。このギャップに自分で笑えてしまうんです。で、なんでこんなにがんばっているのかと言われれば、我が子が可愛いからです。それ以上でもそれ以下でもなく。

 

そりゃたまには独身時代のように自由を謳歌したいと思うときもありますが、自由の価値を上回って余りあるほどに子どもが可愛いのです。だから世話をするのです。打算です。自分のためです。

 

件の「あたし おかあさんだから」も母親の苦労を綴った呪い歌なんかではなく、毎日の忙しい育児の最中、ふと昔の自分と今の自分を比べてみて、その心境や状況の変化を感じて、それでも「おかあさんだから」子どもの世話をすることの幸せを語っている。そんな歌だと思うんです。

 

 

 

なんかこの記事、内容に全然まとまりもとりとめもありませんが、そんな感じ。